聖無動尊大威怒王秘密陀羅尼経
(しょうむどうそん だいいぬおう ひみつだらにきょう)


不動経のロング番。金剛手菩薩が毘盧遮那如来(大日如来)の命を受けて、お説きになられたお経です。


※ 紫色の文字は、代替文字です。


爾時毘盧遮那大会中 有一菩薩摩訶薩 名曰金剛手 与妙吉祥菩薩 この時、毘盧遮那の説法の会場に一人の菩薩がおり、その名を金剛手といい、吉祥菩薩と一緒にいます。
此金剛手 是法身大士 是故名普賢 即従如来 得持金剛杵 其金剛杵 五智所成 故名金剛手 この金剛手は、法身の大菩薩ゆえに普賢と名づく。即ち普賢菩薩は大日如来より金剛杵を授けられ持っている。この金剛杵は五智より成るゆえに金剛手という。
又妙吉祥菩薩 是三世覚母 故名文殊師利 また妙吉祥菩薩は、この過去・現在・未来の十方諸仏の産みの親であるから、文殊師利という。
如是菩薩 為度衆生 現菩薩身 成就戒定慧解脱解脱知見 善能通達 諸陀羅尼門 かくのごとき菩薩は、衆生を救済せんがために、菩薩の身を現して戒・定・慧・解脱・解脱知見を成就して、善い諸々の陀羅尼門に達することができる。
其心禅寂 常住三昧 降伏衆魔 令入正見 得大智慧 無有障礙 能随衆生 転大法輪 吹解脱風 除衆生熱悩 雨大法雨 樹衆生心地 殖善根種 亦能具足 秘密之蔵 その心を静かに瞑想して、常に心を安定させ、魔障を降伏して中道に入りなさい。大智慧を得るに障碍はなし。衆生に随って大法輪を転ずることができ、解脱の風を吹かせ、衆生の煩悩を除き、大法の雨を降らし、衆生の心に注いで善根の種を植え、また秘密の蔵を具えることができる。
其心自在 或現多身 復合多身 以為一身 随衆生願 能与悉地 宿願薬 療衆生病 普賢菩薩・文殊菩薩の心は法界に遍満して相対するものがないから自在なのです。あるいは多くの身を現して、また多くの身を合わせて一身となり、衆生の願いに随って成就させ、菩薩の過去から本願の薬を持って、衆生の心の病を治療する。
是大菩薩 戴五髻冠 顕五種智慧 智慧如日月 照慧如日月 照諸暗冥 この大菩薩は、五髻冠を戴き、五種類の智慧を顕しています。智慧は太陽・月のように諸々の暗冥を照らします。
常為 之所恭敬 設大法船 普苦海 令到彼岸心 無傾動 不染塵垢 誘衆生 令見妙色 この菩薩は常に人・天人によって謹み敬われているが、大法の船を設けて、普く苦海を渡り、悟りの世界へ至らしめる。菩薩の心は傾いたり、動いたりすることなく、塵や垢に染まることなく、よく衆生を誘導して妙色身を見せめ給う。
如是功徳 甚深無量 設経多劫讃不能尽 是二菩薩 就如上 殊勝功徳 このような功徳は、極めて奥深く、計り知れないのです。たとえ永い年月が経っても尽きることはない。この2菩薩はこの上ない最高の勝れた境地の功徳を成就しました。
於是金剛手菩薩 入火生三昧 其光普照 無辺世界 火焔熾盛 梵焼諸障 内外魔軍 恐怖馳走 欲入山中 不能遠去 欲入大海 亦不能去 挙声大叫 唯至仏所 請乞救護 捨於魔業 発大悲心 ここにおいて金剛手菩薩は、火生三昧に入り、この光は世界を普く照らす。盛んに燃えている火炎は、諸々の障りを焼く。内外の魔軍は恐怖で慌てて走り去った。あるものは山の中へ逃げ込もうとしたが、遠くへ逃げ去ることができます。あるものは大海に入り、逃げ込もうとしてもまた逃げる事ができずに、声を上げて泣き叫んだ。ただ仏がおられる所へ至り、救いを乞い、魔業を捨て、大悲心を起こした。
釈提桓因梵天王等 捨深禅定楽 来入此処 天龍八部 皆悉来至 菩薩之所 作礼而坐 帝釈天、梵天王(大梵天)などは、深い禅定を捨てて、この法会に来て、天龍などの八部衆も皆、菩薩が説法をされようとしている場所へ集まり、礼拝して坐に着いた。
爾時金剛手 従三昧起 告妙吉祥菩薩言 有大威怒王名曰阿利耶阿闍羅拏多尾地阿羅惹 この時、金剛手が覚りの境地から出て、妙吉祥菩薩に告げました。「ここに大威怒王がいます。その名を聖不動威怒明王をいう。」
是大明王 有大威力 以智慧火 焼諸障礙亦以法水 漱諸塵垢     この大明王は大きな威力があります。智慧の火で諸々の障りを焼き、法の水で諸々の塵を荒い流す。あるいは大きな身を現し、虚空の中に満ち、あるいは小さい身を現し、衆生の意のままに随う。
如金翅鳥 諸毒悪 亦如大龍 興大智雲 而灑法雨 金翅鳥のように諸々の毒悪を喰らう。また大龍のごとく、大智の雲を起こして、法の雨を注ぐ。
        大刀剣で物を切るように魔軍を破り、また羂索で大きな魔を降伏させ、親友や童子のように行者を給仕する。この心は何も驚かず、不動の境地に住している。
               この大明王に住居はなく、衆生の心の中に住んでいる。その理由は虚空は広大に無限であるが故に世界も無限である。世界が無限であるがゆえに衆生の世界が広大で無限である。衆生の世界が広大で無限であるがゆえに法身体が広大である。法身の体が広大であるがゆえに法界に普くいたる所に遍満している。法界の普くいたる所に遍満しているがゆえに、法身は法界と共に一定で、不変なく、無限の姿をしている。
  お不動様は、宇宙に遍満しているので、姿がなくても有っても、行者の心に随い、この形態を現す。
  

  

転閑
 

退

お不動様の身体は、宇宙に遍満しているんで、有るとか無いとかではない。因でもなく、縁でもない。自分でもなく、他人でもない。

お不動様のご身体は、宇宙に遍満しているから、方形でもなく、丸くも無く、長くもない。お不動様は出たりするものでなく、没するものでもなく、生ずるものでもなく、滅するものでもない。作られるものでもなく、起こるものでもなく、他から作られるものでもない。

お不動様の働きは、坐っているのでなく、横になっているのでなく、留まっておこなっているもでなく、他によって動いているものでなく、静かにしているものでもない。

お不動様のご神体は、絶対普遍であるから、進む・退ける・安全・危険・非もなく、得るも失うもなく、彼岸も此岸もなく、過去と未来もない。

青もなく、黄色もなく、赤もなく、白もなく、紅もなく、紫もなく、種々の色も離れている。
 不足       ただお不動様は、大定、大智、大悲を完全に具えておられる。すなわち大定の徳の故に金剛磐石に坐し、大智の徳をもって迦楼羅焔を現し、大悲の徳をもっているがゆえに種々の形や姿を現す。
        その形は青黒で暴悪の想に似ている。智慧の剣をとって執着、怒り、無知を害し、あるいは衆生を受け取り、抱いて救おうとする大慈悲を持って、強化し難いものを縛り繋ぎとめる。常に八部衆も、お不動様のために謹み敬う。
             もし威怒王を心に念じれば、すぐに一切の障難を悉く断ち、撲滅することができる。一切の悪魔達は近寄ることができず、常にこの修行者の住んでいる処から遠く離れて、一百由旬内に魔事及び鬼神などいることはない。
  ぎゃ    ぎゃぎゃ   時に金剛手菩薩は、最も勝れた根本の陀羅尼を説いて言った。一切の如来の一切における、一切の功徳門に帰依し奉る。タラタ 暴悪者よ、大忿怒者よ、ケン おお喰らい去ることよ。おお喰らい尽くすことよ。一切の障礙を折伏しつくすことよ。ウンタラタ カンマン
    忿      この真言を誦しれば、じきに智慧の火を出して一切の魔軍を焼き尽くす。三千大千世界、ことごとく大忿怒王の智慧の光によって焼き尽くされ、広大な火の固まりとなる。だた十地の菩薩と、一切の仏の国を除いて、無知な衆生の煩悩を焼き尽くし、のちに法楽をささげて安穏を得せしめられる。
       ときに金剛手菩薩は、偈を説いて言った。もしこの真言を唱えれば、不動心を成就して、諸々の昔からこのかたの罪を焼き、大魔王は降伏し、いつも真言を念誦し、心に真言を持ったなら求める所、一切を成就することができる。
   天東南光  西 西 西          十二天など常に来て加護する。東北の伊舎那、東方の帝釈天、東南の火光尊、南方の焔魔天、西南の羅刹王、西方の水雨天、西北の吹風雲、北方の多聞天、上方の大梵天、下方の持地天、日天、月天。このような偉大な力の十二天に囲まれて、護られる。あるいは明王の降伏の恩恵を蒙り、還って仏法を敬い、擁護するようになった。
使   使     使者は、矜羯羅および制迦、倶利迦龍王、薬廁使者が、このように大眷属です。あるいは隠れ、あるいは顕れて来て、修行者に奉仕することは、世尊を敬うかの如くである。
 忿           もし最も勝れた機根の者に仏は、忿怒の姿で現れ、機根が普通の者には、二童子の姿を現し、劣った者には怖がらせないように、お不動様は親友の姿で現れる。このように機根にしたがって、しかも大きな利益をなし、彼等を導き進めにつれ、阿字門にまで入れられる。
     宿      このとき金剛菩薩は、この偈を説き終わり、普く大衆を感じ、その後に告げて言った。「よきかな、聴衆達よ。みな宿世の善根によるかゆえに、このように明王及び勝れた力の神呪を聞くことを得られた。もしこの明王を見たいと観ずるならば、まさに捨て身の修行をしなさい。」
 ノウ      ノウ     また真言を説いて言った。ノウマクサンマンダ バザラダン タラタ アボキャ センダマカロシャダ ソワタヤ アノウヤ アソウギャ アサンマギニ ウンウン ビキナン ウンタラタ カンマン
       真言を修しようとする行者は、この真言を受持し唱えなさい。身体から光明を放ち、諸々の魔王は降伏し、求める全ての願い事は、真言を念誦するにつれ成就を得られるから、護身と名づける。
      ノウ              よく恐怖がなくなる事を得、また真言の智慧があり、加護住所と名づける。諸々の悪、恐れから遠く離れ、常に安穏を得る。かの勝れた真言を説いて言った。ノウマクサンマンダ バザラダン タラタ アボキャ センダ マカロシャダ ソワタヤ サラバビキナン ママソバシャチセンジ シバンメイ アサラトウ クラタラマヤ タラマヤ ウンタラタカンマン
     忿      忿      金剛手菩薩が言った。一切衆生の想いは同じではない。このように如来、或いは慈しみの姿を現し、あるいは忿怒を現して衆生を教化することは、それぞれ同じではない。衆生の意に従って、しかも利益をなし、魔軍を破るといえども、その後は法楽を与える。
忿怒を現すといえども内心は慈悲である。魔醯首羅ごとき者にも第八地を得て、慈悲から出た善根の力あることを知るべし。
                             この言葉を説き終わって、また大衆に告げました。「もしこの法を成就したいと欲するなら静かな山林に入り、清浄な場所を求めて壇場を造り、諸々の行を修し、心に仏と法を念じ、真言を唱えたなら、すぐに本尊を見て奉って成就を円満しなさい。あるいは河の水に入り、念誦をし、もしくは山頂の樹の下の塔廊の所において、念誦法をしたなら、速やかに成就を得るであろう。このように修するとき、その三業を整えて、衆生の罪を造らず、また諸々の悪人に親しく近づかず、諸々の護摩の事をなさば、速やかに成就する。五辛、酒、肉を食べずにこれをしたなら成就する。」
           使              偈を説いて言いました。「もしこの行を行えば、功徳は量り知れない。法にかなう念誦をしたら、すなわち大悉地を得る。行者が苦行を修し、あるいは心の想いを清浄にして教えの如く修行し、三落者の数を満たしたなら、常に本尊を見て奉ることを得る。法の成果を試そうと思うなら、山を移し及び動かす。水を逆流させ、意に従って諸々の事ができる。諸々の仏の国を見たいと思えば、明王がたちまし出現し、行者を頭に乗せ、浄土を見る事ができる。いわんや求めることも。持するに従って、成就を得て四悪趣に落ちず、決定して悟りを明らかにし、このような諸々の功徳は、我れ誉め讃えなくても減ることはない。ただ大日如来だけが知りたもう」
     宿      この時、仏は妙吉祥菩薩に告げて、このように言った。「もし未来世に諸々の行をする人があれば、過去の福徳によるが故に、このように明王の名号を聞くことを得られ、あるいはこの聖無動尊大威怒王陀羅尼経を受持した者は、次のように知るべきである。」
         災難などで死ぬ人なく、また恐怖もない。諸天の護持を受け、諸々の災いはない。いわんや上のごとく念誦をする者には、その福は無量である。この言葉を言い終わって、黙って坐っておられた。
      金剛菩薩が言った。「善きかな、善きかな。大日如来がお説きになった通りである。これで自分の本意が遂げられ、自分の座に着きました。
     この時大衆は、この経を説き、聞き終わって、おのおのが納得し、今までと違う心境になり、皆大いに歓喜し、信仰し、受け入れ、教えを実践することになった。
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