お 釈 迦 様



世尊は阿難を連れ、ビシャリに向かって旅たった。恒河の岸辺において、阿難を遠ざけ樹の陰に座った。そのとき悪魔がきて…
「世尊、速やかに入滅されるが良い。世尊の強化はすでに終った。この世を去るときである。」
世尊はまだ入滅するときはなく、弟子と全ての人が、全てこの道を受けることができるまで入滅はしないと言った。悪魔は世尊がかつてニレンゼン河の辺で言ったことは叶っているから、入滅するように言った。世尊は…
「仏は自ら時を知っている。この後三ヶ月を経て、私が私の前世に由緒なるクシナガラの沙羅双樹の間において、涅槃にはいるであるろう。」
悪魔はこれを聞いて、仏の入滅が遠いことではないと知り喜んだ。世尊は三ヶ月後に入滅すると弟子達に告げた。


世尊は、少数の弟子達と村々を巡り法を説いた。そして世尊の教えを受けたチュンダの所有する園に留まった。チュンダは喜んで衣を整え、世尊の許へ詣でた。チュンダは世尊が入滅することを知って嘆き悲しみ叫んだが、世尊の説法で喜びを得、明日に供養の申し出をし、世尊はこれを承諾した。
翌朝、世尊は弟子達とチュンダの家に入り、供養を受けた。世尊はチュンダの家を出てクシナガラに向かった。半分くらい進んで病が起こった。路端の樹の下に座を敷き休んだ。
その時チュンダは側にいて、自分の供養で世尊が病になったと思って、自分をとがめていた。世尊は「チュンダの功徳は大きい。長く福を得るであろう。」とチュンダを讃え、阿難に伝えさせました。

世尊は「今からクシナガラの城はずれのキレン河の辺にある、沙羅双樹の間に行こうと思う。」と言われました。キレン河を渡り、沙羅双樹の林に至った。その時チュンダが進み出て、入滅することを告げました。世尊はそれを許し、世尊の前で静かに命が終りました。

世尊は阿難に「沙羅双樹へ行き座を敷き、私を北を枕にさせ、横たわらせて欲しい。今日の夜中に入滅するであろう。」
阿難は涙に揮い、樹の下に行き座を敷きました。世尊が弟子達と一緒に林に入り、頭を北、顔を西に向けて床に受け、足を重ねて静かに横になりました。

阿難は世尊がお逝れになった後は、そうしたら良いのかを尋ねました。世尊は「私の生まれたカピラワットのルンビニー園を思うが良い。また私が道を成したニレンゼン河の畔の菩提樹の下を思うが良い。私が初めて法輪を転がしたベナレスの鹿野苑を思うが良い。私が入滅するこのクシナガラの沙羅双樹を思うが良い。」

クシナガラに学が博く人に重んじられていた一人の老人がいた。スバッタといい、たまたま林の外にいた阿難と遭った。スバッタは世尊の教えを願ったが、阿難は断った。しかし世尊は遭うことを許し、スバッタに法を説いた。スバッタは世尊の許しを得て、すぐに髪を下ろし袈裟をつけたので、世尊は四聖諦を説き、スバッタは悟りを開いた。

世尊は弟子達のために最後の法を説きました。そして静かに寂静に入り、体は少しも動かなかった。阿難は阿那律に尋ねた。「世尊はすでに涅槃に入ったのでしょうか。」「いいや、まだである。」
すてに世尊は諸々の禅定を経て、静かに天界より降りた母、摩耶夫人を拝んで、ついに入滅をしました。
ときに大地は震い、空に鼓鳴り、沙羅の花は雨のように降り注ぎ、諸々の弟子達は悲しみに泣いた。

阿那律は阿難にクシナガラに行って、世尊が入滅をしたことを告げてきて欲しいと言い、阿難は伝えた。人々はすぐに林に集まって供養をし、7日7夜の間、意のままに供養をさせて欲しいと言ったので、阿那律はそれを許しました。

七日を経ってクシナガラの若い人々は、阿難が世尊から聞いた通りのことに随い、新しい清らかな綿で体を包み、黄金の棺に移し、清々しい美しい花と香とを散らし、御輿に安置し、楽器を奏で、讃え歌を歌った。そしてクシナガラの人々は、街を掃き清め、道に浄水を注ぎ、皆で棺を担いで城に入り、人々は哀しみの歌を歌った。
中庭に栴檀やその他の香の薪を積み、棺をその上に移した。クシナガラの大臣は大きな松明を取って、薪に火をつけようとしたが燃えない。三度つけようとしたが燃えないので、人々は疑いの目で阿那律に尋ねた。阿那律は「摩訶迦葉をお待ちになっているためであろう。迦葉は今、世尊にお別れをしようとして、ここへ向かっている。」

摩訶迦葉は、タクシャナギリの国で伝道をしていたが、世尊が入滅したこと聞いて、500人の弟子達とクシナガラに急いでいた。その途中で善賢という弟子が、「世尊がおられたときは、私達を叱ったり、あれをしてはいけない、これをしてはいけないと煩い言って、好きな事ができなかったけれど、今は死なれたから思い通りにできる。」と聞いて心を痛め、以前に世尊から「私が滅した後には、正しい法を清らかに伝えて欲しい。」と言われた事があり、このような者がいたのでは、正法は乱されると考え追放した。善賢はその後、後悔をし、すぐに道に入った。

宝冠寺に着いた摩訶迦葉は、薪の上にある棺を拝み、すすり泣きして耐え難くなり、三度その周囲を回って徳を讃えました。このとき火は急に燃え、棺を焼き舎利だけを遺しました。

マガタのアジャセ王の使いを初め、七ヶ国が舎利を分けて欲しいと申し出たが、クシナガラの人々は「世尊は自らここへ来て、入滅をしたので我等が供養しようと思うので、形見分けはできない。」と言った。
七ヶ国の人々は怒って、兵力をもってでも舎利を迎えると言ったが、クシナガラの人々は恐れはしないので、それに応じると言った。そのときにドーナというバラモンが間に入り、さとし、事を納めた。ドーナは世尊の舎利を七つに分け、自らは世尊の舎利が入っていた金の瓶を請けて、ピッパラの人も焦げた炭を請けた。クシナガラの人々は快く承知した。そして各国々で塔を建てて、世尊を供養しました。



イラスト 山崎祥琳様

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