お 釈 迦 様



世尊はこの法は誰が悟るかを考えていました。そこでアラーラカーラーマなら悟るであろうと思ったそのとき、世尊が天眼をもって彼が7日前に逝ったことを知った。次にアラーラカーラーマの子であるウッダカに伝えようとしたが、彼も昨日亡くなっていたとこを知った。
世尊は五人の比丘のことを考え、苦行の時間に給仕をしてくれた大切な人達だから、まず彼等に法を伝えようとベナレスの鹿野苑へ向いました。
鹿野苑に入った世尊を見て、五人の比丘はお互いに言った。
「ゴータマが来る。努力を捨てて安楽に逃げたのだから、拝むにも、仕えるにも及ばぬ。鉢や衣を受け取るにも及ばぬ。座を設けるにも及ばぬ。坐りたい所へ坐らせておけばいい。」
しかし世尊が彼等に近づいたとき、彼等は約束を忘れました。

座に着いた世尊は彼等に言った。
「汝等、仏をその名や友の言葉で呼びかけてはいけない。私は世に供養を受けるに応じた悟りを開いた。汝等に不死に至る道を教えるでろう。私の教える法を守り行えば、遠からずして出家となった望みを満たし、清らかな行を具えて、自らを悟りを開く事ができるであろう。」
彼等は「ゴータマよ あなたはあの厳しい道、あの恐ろしい苦行によってすら、人を超え勝れた真の智慧に達する事が出来なかったではないか。その努力を捨てて安楽に逃げながら、どうしてその法に達することができようか。」
世尊は「私は努力を捨てたのでもなく、安楽に逃げたのでもない。実に世の供養を応じ、悟りを開いた仏である。耳を傾けよ。汝等に不死に至る道を教えるであろう。」
しかし彼等は世尊の言葉を疑い、三度同じことを繰り返した。

五人は初めて世尊に心から聞こうと思いました。
「出家等よ。出家が避けなければならない2つの片寄った道がある。それは卑しい欲にふける愚かな快楽の生活と、いたずらに自分を離れて、心の眼を開き、智慧を進め、静けさと正しい智慧、正しい悟りと涅槃に導く、中道が仏によって悟られたのである。」
これを聞き終わると、キョウチンニがまず、穢れを離れた。キョウチンニは師の教えに従う弟子となり、他の四人も煩悩を離れ、聖をなりました。

世尊が成道をしたという知らせは、インドの国々に広まった。この知らせを一番喜んだのが、父である浄飯王である。王は一日も早く世尊に会いたいと幾人もの使いを出したが、世尊に帰依してしまい一人として帰って来なかった。王は世尊と同じ年生まれで、幼少の頃から友達であるダールダイを王舎城へ行かせた。カールダイは「出家する事を許して戴けるなら、使いを果たしましょう。」と言い、王はこれを許しました。カールダイは世尊へ歌をもって帰城を促しました。世尊はこの歌を聞いて、弟子達を連れ郷里に向かいました。

帰城した世尊は、人々に説法をしましたが、誰一人翌日の食事に世尊を招く者はなく、翌日に鉢を取り托鉢に出たが、誰一人として鉢に食を盛るものもなく、招くものもいなかった。ただ窓を開けて珍しそうに眺めていました。
王はその知らせを聞いて、大変驚き悲しみました。街へ出て世尊の前にはだかって、「何故、我々を辱めようとなさるのか。何故に食を乞うて歩かれるのか。出家の食を得ることができないと思ったのか。」と責めました。
世尊は自分の家系は燃灯仏であって、托鉢をしいて食を得て命を繋いだと説いた。王は教えにより、心を開き喜んで世尊や弟子達に食事を捧げました。

食事が終って、ヤショーダラ以外の婦人達は世尊を礼拝したが、ヤショーダラは世尊が自分の所へ来たら、礼拝しましょうと言っていたが、世尊が座に着いたときヤショーダラは世尊の御足に礼拝しました。
翌日は異母兄弟である難陀の結婚式が行われる目出度い日でした。世尊は難陀の家に行き、お祝いの言葉を述べると鉢を与え、座を立ったので仕方がなしに難陀は世尊に随ってニグローダの林へ行き、嫌がる難陀を出家させました。

その日から7日後にヤショーダラはラゴラに盛装をさせ、世尊の近くに行かせて「あの神々しい出家が父です。あの方の所へ行って、遺産を受け取るが良い。」と言った。ラゴラは「遺産を下さい。」とすがり、世尊はラゴラを連れてニグローダの林に入り、舎利弗を呼んでラゴラを出家させた。これを聞いた王は、大いに悲しみ急いで世尊の所へ行き、親の許しのない子を出家させないで欲しいと願い出ました。世尊はこれを受け入れました。

舎衛城の給孤独長者(ぎっこどくちょうじゃ)は、王舎城の富商の妹婿で、ある日その家に泊まった。翌日、富商は世尊と弟子達を招待していたので、準備で大忙しだった。それを知ったスダッタ(妹婿)は、翌朝出かけたが、郊外へ至ると急に光が隠れてしまい暗くなった。進み孤ともできず、引き返そうとしたそのとき、「長者よ、進め。進めば利益があり、退かば利益がない。」と2,3度空から声が聞こえた。
長者は励みを得て、寒林に近づき、歩いている世尊を見奉った。世尊はスダッタを呼んで、法を説いた。そして供養を受けて欲しいと申し出て、世尊はこれを受けました。

翌日スダッタは、王舎城の富商の家で、世尊とその弟子達の食事を用意し、世尊が食事を終ったとき、「安居は舎衛城でお送り下さい。」と申し上げ、世尊は受けました。
王舎城の帰り道、「僧苑を作れ、精舎を建てよ。布施を用意せよ。世に現れ給う仏は、私のご招待によって、この道をお通りになるであろう。」と人々に告げ、皆はその言葉に従いました。

スダッタは帰り道、ほうぼうを見回りながら精舎を建てるのに相応しい場所を探し歩いた。その結果、祇多王子の所有に掛かる園林を見出し、王子に申し出た。しかし王子は園が欲しければ、広さに相応しい黄金を敷き詰めろとスダッタに迫った。スダッタは全財産をはたいて、借金をしてでも建てるべきと思ったので、黄金を敷き詰め始めました。王子は驚き理由を聞いて、世尊に園を寄進することに決めました。こうして建てられたのが給孤独園祗園精舎なのです。


世尊は弟子達と王舎城に入り、郊外の竹林にある善住制底(せんじゅうせいてい)に留まった。そのことが王舎城へ伝わって、マガタの王であるビンバシャラは多くの人々と世尊の所へ赴き、世尊を拝み奉って座った。人々は拝火教の迦葉が世尊の弟子になったことに疑問を持っていました。
迦葉は「火の苦行にやつれていましたが、世尊の教えによって真実の道を楽しみようになりました。世尊は私の師で、私は世尊の弟子です。」迦葉二度繰り返し言い、人々は疑いを晴らしました。

世尊は王を人々のために法を説きました。その後王は世尊に命が終るまで、信者として受け入れてくれるように申し出て、明日はお弟子達を連れて宮殿へ来て欲しいと願いでました。
世尊はポンバシャラ王の宮殿に入り、王が世尊の供養を終って座に就いていたときに『どこかに世尊の住まいで、街から遠からず近からず、いるでも行きやすく、昼も夜も静かな場所がないであろうか。』と思い、竹林園が相応しいと知り、世尊に竹林園を捧げたいと申し出て、世尊はこれを受けました。こうして建てられたのが、竹林精舎なのです。

こうして精舎の寄進の申し出があちこちから続々と届きました。

世尊は父、浄飯王の病気を聞いて、カピパラへ帰られました。97歳で息を引き取り、世尊は葬式を済ませてニグラーダ園に滞在していたとき、マハーパジャパティが婦人たちも出家できるように願い出たが、三度退けられました。その後世尊はビシャリに帰りました。マハーパジャパティは髪を切り、黄衣をつけ釈迦族の婦人達を伴って、世尊が留まっている講堂の戸口に立ちました。
阿難は哀れみ世尊に婦人達に出家を願い出たが、二度退けられました。しかし阿難は世尊に婦人達も出家をして道を経たら悟りを得る事が出来るかを問い、世尊は婦人も出家をして悟りを得ることができると言ったので、婦人達の出家を許すのが、正しいと思うと言いました。世尊は八つの法を守るなら出家を許すと言い、阿難はこれを婦人達に伝え、婦人達は八つの法を一生涯守ると言い、出家を許されました。


            



イラスト 山崎祥琳様

inserted by FC2 system