阿 弥 陀 如 来
(あみだにょらい)


オン アミタテイセイ カラウン


山崎 祥琳様作


阿弥陀如来はインドのサンスクリット語でアミターバという無量光という意味と、アミタユースという無量寿という意味がある。無量光仏・無量寿仏も阿弥陀様のことです。

阿弥陀様は西方の十万億の仏の国を過ぎた所にあります、極楽浄土の教主です。

インドの王子だった頃、世自在王(せじざいおう)の説法を聞き、感動し、王位を捨てて出家をしました。
法蔵菩薩(ほうぞうばさつ)という名前の修行者になり、48の誓願を立て、それが叶わないのなら決して仏にならないと誓いを立てた。
その大願を成就して如来となった。
   
如来になるまで、五劫というとてつもない長い時間を衆生救済の為に修行をし、どう救おうかと考え、髪が伸び放題になったという。それを現した五劫思惟の阿弥陀如来像があります。

極楽浄土は、豊で、平安で、食物が豊穣であり、美麗であって多くの神々や人間で充満している。そして、地獄・餓鬼・畜生・修羅の境遇がない。
種々のかぐわしい香りが漂っており、花や果物が豊富で、木々の幹・葉・根・花・枝・果物はいろいろな宝石でできており、感触がよく、よい香りがあり、風に吹かれると美しい音が流れ、不快な思いはさせない。その木々は金の網の覆われ、更に、七種類の宝石でできている蓮華に覆われている。その蓮華から百千億の36倍の光が現れ出て、その光の先からは百千億の36倍の目覚めた人が現れ出て、その体は金色であって、如来に具わる三十ニの特徴を具え、東西南北上下の無量の世界へ行き、生ける者に法を説いている。
極楽浄土には、沢山の功徳が具わっているのです。


阿弥陀様には亡くなった方をお迎えに来て下さるお姿が9種類あります。
これは生前の功徳によって、お迎えの形が異なります。
印(手の形)が違います。九品の印相(くぼんのいんそう)と言います。
以下の9種類です。

☆上品(じょうぼん)は親指と人差し指で円を作ります。

上品上生
上品中生 上品下生
上品上生
(じょうぼんじょうしょう)
上品中生
(じょうぼんちゅうじょう)
上品下生
(じょうぼんげしょう)


☆中品(ちゅうぼん)は親指と中指で円を作ります。

中品上生 中品中生 中品下生
中品上生
(ちゅうぼんじょうしょう)
中品中生
(ちゅうぼんちゅうじょう)
中品下生
(ちゅうぼんげしょう)


☆下品(げぼん)は親指と薬指で円を作ります。

下品上生 下品中生 下品下生
下品上生
(げぼんじょうしょう)
下品中生
(げぼんちゅうじょう)
下品下生
(げぼんげしょう)




来迎図(亡者をお迎えに来る絵図)では、山越え弥陀(山の間から顔をお見せになっている姿)
三尊図(観音菩薩と勢至菩薩を一緒にお連れになっている)
二十五菩薩の来迎図(25の菩薩をお連れになり、亡くなった人を迎えに来た絵図)など、他にもいろいろな来迎図があります。
像では、京都 大原の三千院門跡に阿弥陀三尊が安置されています往生極楽院があります。向かって右に観音菩薩と左に勢至菩薩がひざま付いているお姿ですが、これは亡者をお迎えに到着したばかりのお姿を現しています。観音菩薩が持っている蓮華の上に亡者を乗せて、お浄土へ連れて行きます。


法蔵菩薩だった頃に立てた48の誓願

願          意
我が国に地獄・餓鬼・畜生の三悪道があるうちは、私は悟りを開くことはない
我が国に生まれた者が地獄・餓鬼・畜生に落ちる者がいるようだったら、その間私は悟りを開くことはない
我が国に生まれた者が全て金色にならないようだったら、私は悟りを開くことはない
我が国に生まれた者が神と人間の差別があるようだったら、私は悟りを開くことはない
我が国に生まれた者が神通力自在の最高の完成に達しないようだったら、私は悟りを開くことはない
我が国に生まれた者が百万の世界を見るだけの透視力がないようだったら、私は悟りを開くことはない
我が国に生まれた者が正しい理法を聴くだけの聴覚を持っていないようだったら、私は悟りを開くことはない
我が国に生まれた者が他の者の心の動きが読めないようなら、私は悟りを開くことはない
我が国に生まれた者が諸仏の国を自在に行けないようなら、私は悟りを開くことはない
10 我が国に生まれた者が自分の体に執着があるようなら、私は悟りを開くことはない
11 我が国に生まれた者がいつか目覚めるに決まっている状態になないようなら、私は悟りを開くことはない
12 我が国に生まれた者が教えを聞くだけの修行者の数が知られるようなら、私は悟りを開くことはない
13 私の光の量が限られているものであるようなら、悟りを開くことはない
14 我が国に生まれた者達の寿命に限界があるようなら、悟りを開くことはない。ただし、誓願の力によって寿命を短縮する者は別である
15 私の寿命に限界があるようなら、悟りを開いて仏にることはない
16 我が国に生まれた者達に悪い者という名称だけでもあるときは、悟りを開いて仏になることはない
17 諸仏国土の世尊・覚者が私名を唱えず、称賛せず、誉め言葉も広めたりもしないようなら、悟りを開いて仏になることはない
18 十方世界に生まれた者達が我が名前を称え臨終の時に私が修行僧に囲まれ尊敬され、彼等の前に立つということがないようなら、私は悟りを開いて仏になることはない
19 十方に生まれた者たちが我が国に生まれたいと思い私の名を念じても生まれる事ができなかったら、悟りを開いて仏になることはない。但し、母を殺した者・父を殺した者・聖者を殺した者・仏の体を傷つけた者・仏教教団を破戒した者・正法を誹謗する者を除く
20 我が国に生まれた求道者達が偉大な人物に具わる三十ニの特徴を身に備わるようにならなかったら、私は悟りを開くことはない
21 我が国に生まれた者達が悟りを得るために、この世に縛られている身にならないようならば、私は悟りを開くことはない。ただし、求道者達の特別な誓願を除いてである
22 我が国に生まれた求道者達が朝食前に諸仏国土の多くの覚者に楽しみを生じる為に必要なものを供養することができなかったら、私は悟りを開くことはない
23 我が国に生まれた求道者達が、どのような形を以ってしてでも善根を植え様と思ったと同時に現れてこないようだったら、私は悟りを開くことはない
24 我が国に生まれた者達が仏の智慧を伴った法話を話し、得ないようであれば、私は悟りを開くことはない
25 我が国に生まれた求道者達が仏国土にいる世尊・覚者を敬い、尊敬し、尊重し、供養しようという心を起して、同時に世尊・覚者が哀れみの心を起して受け入れることがないようなら、私は悟りを開くことはない
26 我が国に生まれた求道者達が強固な体や力を得られなければ、私は悟りを開くことはない
27 我が国に生まれた者達の誰かがこの国の知らないはずの種種の美しさを知っているようなことがあるなら、私は悟りを開くことはない
28 我が国の善根が少ない求道者でも高さが1600ヨージャナあるすぐれた菩提樹を認め知るようなことがないようなら、私は悟りを開くことはない
29 我が国に生まれた者達が法や経をとどこおりなく理解表現力を得ないようなら、私は悟りを開くことはない
30 我が国のよく磨かれ清らかな円鏡の中に諸仏国土が見られるような輝かしい光がないようなら、私は悟りを開くことはない
31 我が国に地面から展国至るまで、神と人間を超えて及び如来・菩薩とを供養するに相応しい薫香が全ても宝石から出て常に香炉に焚かれているようでなかったら、私は悟りを開くことはない
32 我が国に芳香ある宝石の花の雨が降り注がず、妙なる音声を出す楽器が常に音を奏でないことがあれば、私は悟りを開くことはない
33 諸仏国土に生まれた者達が神々と人間を超えた幸せを具えるようにならなければ、私は悟りを得るこはない
34 諸仏国土にいる求道者達が私の名を聞いて悟りに至るまで、記憶して忘れない力を得ないようなら、私は悟りを得ることはない
35 諸仏国土にいる女人達が私の名を聞いて菩提心を起こし、この世での生を脱して再び女人の身を受けるようならば、私は悟りを得ることはない
36 諸仏国土に生まれた者達が私の名を聞いただけで悟りを得るまで清らかな行いを実行できなければ、私は悟りを得ることはない
37 諸仏国土にいる求道者達が私の名を聞いて礼拝、求道者の行いを実行しているのに、神々や人間の世間から敬い礼をされなかったなら、私は悟りを得ることはない
38 我が国に生まれた求道者達の誰かが、如来が許された立派な衣服を見に着けていることも気がつかず、洗濯などの仕事をしなければならないようなら、私は悟りを得ることはない
39 我が国に生まれた者達が生まれると同時に僧侶のような安楽を得られないようであれば、私は悟りを得ることはない
40 我が国に生まれた求道者達が希望の仏国土を見たいと願がったとき、気づき認めることができなければ、私は悟りを得ることはない
41 他の仏国土の求道者達が私の名前を聞いても能力を欠いているようなら、私は悟りを得ることはない
42 他の仏国土の求道者達が私の名前を聞いたと同時に心が安定して世尊達を見る事ができるが、その心の安定ができなかったら、私は悟りを得ることはない
43 他の仏国土に生まれた者達が命終わって私の名前を聞いたと同時に高貴な家柄に生まれなかったら、私は悟りを得ることはない
44 他の仏国土に生まれた者達が私の名前を聞いたと同時に求道者の行いを喜び、身につけることができないよなら、私は悟りを得る事はない
45 求道者達が私の名前を聞いたと同時に心の安定が途中で消えてしまうなら、私は悟りを得る事はない
46 求道者達が説法を聞きたいと思ったと同時に聞けないようなら、私は悟りを得る事はない
47 求道者達が私の名前を聞くと同時に覚りから退かない者になれないようなら、私は悟りを得ることはない
48 覚者達が私の名前を聞いて第一、ニ、三の法忍を得られず、又、法において退かない者になれないようなら、私は悟りを得ることはない
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